虞翻を書くのも長く4回目になりました。今回は本からの抜粋文が多いです。 正史三国志 7 呉書Ⅱ 虞翻伝 『虞翻別伝』より ー虞翻は『易』の注釈の著述がまとまると、それを上呈していった、 「臣(わたくし)の聞き及びますところ、六つの経典の根源として、陰と陽ほど重要なものはなく・・・(略) 臣の高祖父... 続きをみる
正史三国志のブログ記事
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虞翻について3回目。彼でここまで引っ張るとは思わなかった😅 以下は正史三国志 ちくま学芸文庫 を読んでの感想です。 彼が配流になった時、孫権に取りなしの意見を幾度も述べた人物がいました。これが1度目の丹陽郡の頃か、交州かは時期は記載されてませんがおそらく交州かもしれない。 諸葛亮の兄、諸葛瑾。 ... 続きをみる
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❮続きです❯ 虞翻は交州に強制移住した後、学問教育に励み70歳で亡くなります。 その後子どもや子孫(族子)は、呉の揚州に戻ることができたよう。 虞翻の息子は11人(記録上)いました。名が最も知られていたのは四番目の虞汜ですが、その弟の虞聳や虞忠、虞ヘイも名が記されています。 6番目の息子である『虞... 続きをみる
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