読み比べると面白い
張遼と李典
知っている方は知ってますが、この二人は仲が悪かったようです。(正確には楽進も入れて三人ともですが)
読んいる正史三国志でこの二人の共通の戦いの記載内容があります。
それは209年での合肥での戦い。
この仲悪い三人が呉の10万人に対して7000人で守らなくてはならない状況に。
人数差もそうですが、三人の仲は日頃から悪いことを兵たちは知っていてピリピリとした嫌な雰囲気。この場合三人力を合わせて立ち向かなければ、ですが互いにしゃべることもなかったらしい。(私ならそんな職場では働きたくはないです。)
そんな雰囲気の中で曹操からの指示が。
それは、張遼と李典は撃って出ろ!楽進は城を守れ!といったもの。しかし日頃仲が悪い三人で大丈夫かと兵士たちは不安になったようですが、張遼は何をためらうことがあるかと激を飛ばし、李典も個人的な感情を除いて賛同したようです。
その張遼の奮戦ぶりはリアル三國無双と言えるほど。10万人の呉の軍勢に800人で戦い、呉の孫権をもビビらせるほどに。その活躍は合肥を守っていた兵士たちも感服したそうです。
後に呉では小さい子に対して"泣いていると張遼が来る"と言われるほど。(日本で言う泣いたら鬼が来るですね)
そんな活躍をした張遼。少年漫画なら仲悪い李典と楽進の二人も張遼のことを認めて▪▪▪みたいな展開になりそうです。
しかし同じ内容で李典伝を読んでみると。
※ここからは正史の李典側になりますが、個人的な解釈が入ります。
曹操からの指示どおり撃って出ようとした李典。
しかし、張遼が自分(楽進も含む)に「見殺しにされるのでは?」と(おそらく表情で出していた)察した李典。めちゃくちゃ不機嫌になり
「てめえー、疑ってんのかコラァ(`Д´)ノ」←個人の解釈です。
おそらく思い、「自分は国家の大事には個人的な感情は忘れ、命令に従う(😠〰️💣)」と文句を。
この内容って李典の、張遼個人は嫌いだが私怨を忘れ国家の大事を取る、みたいな良い話なのですが、読んでいてこの二人は絶対に仲が悪いし、認めもしなかったんだろう。上記の少年漫画的な解釈の仲にならなかったのではないのか、と思いました。
この数年後に李典はなくなるのでどう思っていたのか読みとれませんが、李典伝にこんな内容の記載が
『李典は学問好きで▪▪▪▪諸将とは決して功を争わなかった▪▪▪』
(。-∀-)(。-∀-)(。-∀-)▪▪▪
この記載は合肥での戦いの後すぐに書かれています。この構成文だとやっぱり仲が悪いまんまだったのでしょうね。
そんな背景が読めて正史三国志は面白いです。
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