Aki vekklaのブログ

自分の感想や考察、考えよりも紹介した書籍を読んでもらえると嬉しいです。

勤労感謝祭り!!二宮の変🍁inユーチューブ イベントの前に~

今夜『はじめての三国志TVチャンネル』さんで三国志好きの人たちによるチャットイベントがあります。


日時 11月 23日 23:00~24:00 の約一時間
場所 ユーチューブチャンネル『はじめての三国志TV』
内容 「呉の皇太子問題 二宮の変をどう思う?」


またお知らせします。


また当日は


1 呂壹の登用  2 張昭の死  3 名士たちの間での妬み


以上に絞って自分は語りたい思ってます。


でその前に...自分の思ってることを書きます。以下からは個人的な解釈ですので過激な部分もあります。気分を害する方もいるのでここまででお願いします🙇⤵️





基本的なスタンスとして跡取り問題はどんなに優秀な人物であってもやらかす❗のが前提です。
即座に解決するのに、跡取り候補の人物を殺害するなんてざら。今の感覚でいえば相続問題ですね。こういった問題はお金や資産の金額に関係なく日頃思っていたことが感情的に吹き出すので根が深いと言えます。
その点で孫権のしくじり度が酷いので擁護はできないのが自分の思ってる考えですね。


結果、孫権が無能だった。というのが真実でしょう。


(しかしそれでは身も蓋もなく、解決案もない。例えば自分の親族間の相続問題と考えるなら自分も無能でどうしようもない人間ってことになるので。)


1 呂壹の登用

この二宮の変の前に孫権がやらかした汚点の1つです。この呂壹を登用、重用したことによって孫権と臣下とのパワーバランスが崩れ、今まで築いてきた信頼が失くなった。それによって臣下たちの立場が上になりごねれば通るという状況が生まれてしまったと言えます。だが、この呂壹の重用という状況はなぜ通ったか。


2 張昭の死の影響

ここで地味に効いているのが張昭だと思うのです。張昭については孫権に対してのストッパーであったように、孫権陣営(内政、名士たち)のストッパーにもなっていたように思います。(張昭自身はまた別に書きたいと思います) 呂壹が好き勝手できるようになった状況も張昭という呉の重鎮が居なくなったせいと考えてます。


3 名士たち間での妬み

呉では孫権(孫家)の権力が呉の豪族や名士たちよりも力が弱いという状況です。

以下はまた後で書きます。